☆営業トークに最適「10月の記念日」④
毎年10月14日は「鉄道記念日」です。
今から151年前の1872(明治5)年に、新橋~横浜間が、鉄道(蒸気機関車)で結ばれました。
鉄道ファンはもちろん、特にファンじゃない人にも「汽笛一声 新橋を~♬」で始まる「鉄道唱歌」のことはよく知られていますよね。同時にあの歌詞の中の「新橋」が現在の「汐留」だったことも、有名です。
さらに、歌詞の中の「横浜」も現在の「桜木町駅」付近だったことも。
そんなこんなで1922(大正11)年に、「毎年10月14日は鉄道記念日」ということになったわけです、「新橋~横浜」間が鉄道で結ばれた1872(明治5)年とその前後に、ちょっとフォーカスしてみましょう。
この年には北海道で石炭の鉱脈が、事実上発見されています。さらに前年の1871(明治4)年には、鉄道本体の開通に先駆け、新橋横浜間の鉄道路線を活用する形で、東京~横浜間の電信事業(公衆電信線)が開始されています。
また、1871年はベルギーのゼノブ・グラムが、世界初の発電機を開発しています。
まさに「近代化の波」が国内外で起こっていたんですね。
前項で触れた「東京~横浜間における電信事業(公衆電信線)の始まり」の件、同事業の要である「公衆電信線の架設工事」が始まったのは、1869(明治2)年10月23日のことでした。
そのため、毎年10月23日は「電信電話記念日」に定められています。さらにその前後1週間(10月20日~26日)は「電信電話週間」となっています。
それにしても1869(明治2)年といえば、北海道でまだ戊辰戦争が行われていた時期です。旧幕府軍側の総裁・榎本武揚などが降伏して、戊辰戦争が終了したのは同年6月27日のこと。その間も、明治新政府はお雇い外国人の力を借りたとはいえ、近代化事業の先駆けとなる「電信電話事業」の準備をきちんとしていたということになります。
ちなみに1869年に最初の工事が始まった電信電話事業は、その後、1885(明治18)年12月の内閣制度の創設に伴い、逓信省(後の郵政省・総務省)が発足したことで、基盤整備が本格化します。
そして、この1885年の内閣創設により、初代の内閣総理大臣に就任したのは、よく知られているように伊藤博文ですが、な、なんと、初代の逓信大臣は、東京~横浜間で最初の公衆電信線の架設工事が始まった1869年まで、明治新政府と戊辰戦争で戦っていた旧幕府軍・総裁の榎本武揚だったのです!!
榎本武揚は1862(文久2)年から1866年(慶応2)年までの足掛け5年間、オランダに留学しており、船舶運用術、蒸気機関学、化学、国際法学、近代工学などを習得してきた大秀才だったのです。
そのため、国家に反逆した犯罪者として投獄されながらも恩赦され、その後の日本の近代化に大いに貢献することになります(前項で1872年に北海道で有力な炭坑の鉱脈が見つかったと書きましたが、それを行ったのも榎本武揚でした)。非常に興味深い、日本の近代化初期の裏話ですよね。