☆営業トークに好適:7・8月の記念日
毎夏恒例の「全国高等学校野球選手権」すなわち「夏の甲子園」は、まさに今がたけなわですが、高校野球の原型となる「全国中等学校野球大会」(旧制中学校→戦後の教育制度改正で高等学校となった)が初開催されたのは、1915(大正4)年8月18日でした。
なので、毎年8月18日は「高校野球記念日」となっています。
この夏の甲子園は「106回目」となっていますが、それは1915年の第1回中等学校野球大会から数えてのこと。最初の大会への参加校は東京都大会で優勝した早稲田実業に、全国9地区の大会で優勝した9校を合わせた計10校が参加して行われました。
この9地区というのも今から考えると変則的で、東京・東海・京津・関西・兵庫・山陽・山陰・四国・九州に区分されていました。北海道はこの時点では参加せず、でした。
こうした状況の背景には、野球というスポーツ自体の普及度に加え、各地方にあった独特かつさまざまな体制の違いのようなものが、ないまぜになっていたのでしょうね(例えば北海道地区では、なぜか対外試合が禁止されていたそうです)。
会場になったのも甲子園ではなく、大阪の豊中グラウンド(陸上競技場)でした(甲子園の開場は1924/大正13年。建設の主要目的は、全国中等学校野球大会の開催のためでした。甲子園が「高校野球の聖地」となったのも、当然のことなんですね)。
そして、栄えある第1回大会で優勝したのは京津地区代表の京都二中でした。旧制京都二中は戦後まもなく廃止されています。
その跡地に+、隣接していた旧制京都府立洛南高校の跡地を合わせた場所に、現在の京都府立鳥羽高校が開校(1984/昭和59年)しています。
旧制京都二中と現在の鳥羽高校には、敷地が一緒という以外に直接の繋がりはありません。しかし、鳥羽高校の「沿革」には、ルーツとして「旧制京都二中」が堂々と記されているとのこと。
それも結局は、現在の高校野球(甲子園)に繋がる、往年の栄えある「中等校野球大会」第1回目のチャンピォンである、京都二中の輝かしい歴史を語り継ぎ、継承していきたいという、地域の教育界全体の願い、なのかもしれませんね。
毎年8月19日は「俳句の日」です。
近代俳句の創始者・正岡子規の研究者、坪内稔典(坪内逍遥の孫)を中心に、1991(平成3)年に制定されました(は:8、い:1、く:9で8月19日)。
また、よく知られているように、正岡子規は日本での野球の普及に大きく貢献しており、野球の呼称も正岡子規の本名「升(のぼる)」をもじり、子規が考案(野球→のぼーる/の:野、ぼーる:球)したとされてきました。
と、ここまでは「従来の定説」(司馬遼太郎『坂の上の雲』にもそう書かれていた)ですが、近年、新説が登場し、それがどうやら正解なのだとか。「野球」という呼称の命名者は徳島県脇町高校の「旧制脇町中学」時代の校長である中馬庚(ちゅうまんかのえ)」という人でした。中馬校長は旧制第一高校の野球部に在籍中、「野球」と命名したといい、今ではこれが定説となりつつあります。